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輝け! 農業女子

元気と笑顔がトレードマークの農業姉妹

狭山市 水野 川井 萌子さん(29歳)(右)・小泉 寿璃さん(22歳)(左)

姉妹で力を合わせて

厳しい残暑が続く9月中旬。強い日差しが照り付け、室温40度に迫ろうかというビニールハウスの中で、2人の大きな声が響きます。姉、萌子さんと妹の寿璃さん姉妹です。
2人は両親と萌子さんの夫、柾希さんの5人で「小泉野菜農園」を営んでいます。およそ2ヘクタールの畑と8棟のビニールハウスで、トマトやキュウリ、コマツナ、アスパラガスなど年間15種類ほどの季節野菜を栽培。昨年度からイチゴの栽培にも力を入れています。
トマトの植え付け作業で大忙しのこの季節。苗が定着しやすいようにと、植え付け直前の苗ポットに水分を与える萌子さん。この作業は父、芳昭さんの教えによるもの。傍らでは、父の大きな背中が見守ります。一方、寿璃さんはその苗を運び、一つ一つ丁寧に植えていきます。その数、何と3200株!
「お姉ちゃん、手伝って~!」「今こっちが終わったから手伝うよ~!」。お互いの息もピッタリで、大変な作業もお手の物です。

コマツナの収穫作業。受け渡しのタイミングもピッタリです。

お互いが思う姉妹

姉の萌子さんは、就農して9年目を迎えます。調理師の免許を持ち、自園の季節野菜を使った料理で食卓を彩ります。3児の母でもある彼女。「普段から家族で面倒を見ており、子育てもそれほど大変だと思ったことはない。子どもたちには、農業や自然と触れ合いながら元気に育ってほしい」と笑顔を見せます。
農業、そして母として奮闘する萌子さん。寿璃さんはこう話します。
「子どもの頃は、お姉ちゃんにもお弁当を作ってもらい面倒を見てもらった。何でも出来て、とても頼りになる」
寿璃さんにとって、姉の萌子さんは“第二の母”とも呼べる存在のようです。

妹の寿璃さんは、卒業後すぐに就農。今年で7年目を迎えます。「童心に帰り、子どもたちと一緒に泥んこ遊びをすることも」とお茶目な一面も。趣味はカラーコーディネート。農作業用のTシャツは、寿璃さん自らデザインしたものです。
「ここぞという時の力は凄いものを持っている。これからはその力をもっと見せてほしい」と萌子さんはハッパを掛けます。
寿璃さんは「小泉野菜農園」のホープとも言える存在なのです。

トマト苗の植え付け準備をする萌子さん。新規就農を目指す女性の方へ「もっと気軽にチャレンジを!」とエールを送ります。

2人で出荷の準備。収穫した野菜は自家販売をはじめ、狭山市内の量販店などへ出荷します。

こだわりの野菜作り

もともと、「小泉野菜農園」は古くから続く茶農家でした。その後、父、芳昭さんの代になり野菜に転作。その姿を幼少の頃から見てきた2人にとっては、「農業を職業にする」ことはごく自然の流れでした。「農業は子どもの頃から習慣だった。自分たちにはこれしかないと思った」と口を揃えます。
2人が就農し、野菜づくりがさらに軌道に乗ってきた「小泉野菜農園」。萌子さんは「いつも自信を持って出荷している」と話します。その裏付けは、こだわりの野菜づくりにあります。
そのこだわりとは、極限まで水分を与えず甘みを十分に引き出すこと。同園で収穫するトマトやイチゴは、この方法で栽培しています。

寿璃さんデザインのオリジナルTシャツ。父は恥ずかしがって着ません・・・とのこと。

目標は規模拡大。「美味しかった」のために…

明け方5時半すぎ。2人の姿は、今日も自宅前のビニールハウスにありました。「いまだに、朝は苦手」と苦笑いの寿璃さん。朝早くから収穫作業に精を出します。萌子さんは、収穫したばかりの野菜の荷積みからスタート。量販店などへの出荷は、主に萌子さんが担当します。
普段は息の合った2人。たまにはケンカをすることもあるとか。
「お互いに言いたいことを言い合っているけど、歳を重ねるごとに仲も深まっている。これも農業に携わっているおかげかな」
最後に、今後の目標について訊ねてみました。
「目標は父を超え、ハウス栽培の規模を拡大すること。体力仕事だし、オシャレも出来ず大変なことばかりだけど、お客さまからの“美味しかった”のひと言のために、これからも頑張っていきたい」
顔を見合わせ、頷き合う2人。最後まで息がピッタリです。
元気と笑顔がトレードマークの農業姉妹。威勢の良い声を皮切りに、今日も「小泉野菜農園」の1日が始まりました。


栽培、加工、そして未来。自らを捧げる農業愛

富士見市 東大久保 新井 利江さん(67歳)

夫婦は担当制

富士見市東大久保地区。辺り一面に広がる水田地帯に、ひと際大きなビニールハウスが目に飛び込んできます。「新井トマトファーム」です。経営するのは新井則幸さん、利江さん夫妻。その名の通りトマトはもちろんのこと、キュウリやナス、レタスといった野菜類、そして水稲も。ハウス栽培だけでも、その広さは20アールにも及びます。
これほどの規模ですが、夫婦で共に全品目を栽培している訳ではありません。実は、品目ごとに役割が決まっているのです。則幸さんは、主に水稲を担当。JAいるま野南畑米生産組合の組合長を務め、高齢化や後継者不足に悩む周辺地域において水田農業を活性化させようと奮闘しています。
そして、ハウス栽培全般を担当するのが今回の主人公、利江さんです。もともとは保育士だった利江さん。結婚を機に就農し、今年で43年目を迎えたベテラン農家女子です。「嫁いだ頃、周辺では梨を中心にたくさんの農産物が栽培されていたが、宅地化が進み景色はだいぶ変わってしまった」と振り返ります。かつての農風景の変わり様に、寂しさは隠しきれません。

伸びた茎を絡める作業。「美味しくな~れ」と心を込めます。

トマトに感謝と願いを

朝7時半。利江さんの姿は、ビニールハウスにありました。パート従業員よりも一足先にし、一玉一玉トマトの状態を確認することから1日が始まります。「美味しく育ってほしい」と願いを込めるとともに、収穫時には「トマトへの感謝を忘れない」と話します。
トマト栽培は2007年からスタート。もともとはミツバを主に栽培していましたが、設備をそのまま利用し栽培野菜の転換を図りました。特徴は何といっても水耕栽培。養分の入った水溶液を施設内のベッドに循環させ、根を張らせることで成長を促す栽培方法です。汚れが少ないなど利点も多く、クセのない柔らかなトマトに成長します。
現在、10月中旬から始まる出荷を前に、大忙しの利江さん。帰宅後には夕食の準備が待っています。さぞかし、お疲れかと思いきや・・・。

トマトをじっくりと煮込みます。作業は深夜に及ぶことも・・・。

加工品づくり

「夢工房」。自宅脇に併設された加工場の名称です。夜8時過ぎ、利江さんの1日はまだ終わりません。地元、富士見市のふるさと納税の返礼品としても人気の高い「トマトジャム」をはじめ、トマトのコンポート、田舎まんじゅうなどを作ります。
この日は、「トマトジャム」づくりに取り掛かります。約70~80玉分のトマトをペースト状にし、鍋で焦げ付かないよう丁寧に煮込んでいきます。その後、一旦冷凍庫で凍らせ自然解凍し、砂糖とレモン果汁を投入。再び煮詰めて、ようやく完成です。
ジャムは完熟トマトを使った「トマトジャム」と、熟していない緑色のトマトで作った「グリーントマトジャム」の2種類。数日かけてトマト本来の味を凝縮させた本格派です。利江さん曰く、「パンやヨーグルトとの相性は抜群。甘さは抑え目なので、調味料としてもオススメ」と自信を見せます。
 手づくりジャムは、JA農産物直売所「いるマルシェ」や「あぐれっしゅふじみ野」などで販売(不定期・数量限定)。ぜひ、お試しあれ!

ジャムは2種類。「トマトジャム」(左)と、「グリーントマトジャム」(右)。

農業は生きる糧

さて、多忙を極める利江さん。自らも「体を動かしている方が性に合っている」と話します。しかし毎日毎日、大変ではないのでしょうか?本音を訊いてみました。
「農業は生きていく糧。自ら育てた野菜を食べる幸せと、お客様からの“美味しいね。また来るね”の声が何よりの励みになる。これぞ、農業の魅力!」
利江さんからは満面の笑みがこぼれます。そして、最後にこう付け加えました。
「笑っていれば苦労もなし!好きな人に嫁ぎ、好きな農業ができる。こんな幸せなことはない」

この春、朗報が舞い込んできました。息子の洋平さん(42)が、都内から戻ってきたのです。洋平さんは「新井トマトファーム」の後継者。以来、利江さんとはハウス内で作業を、則幸さんとは初めての稲刈りも経験しました。今後は、自ら育てた野菜を使ってカフェも開きたいとか。「新井トマトファーム」の未来はこれからも安泰のようです。

トマトの出荷は10月中旬から。自家販売をはじめ、JA農産物直売所や富士見市内の量販店に出荷します。

トマト同様、水耕栽培するワサビ菜。農業のイロハは、義母から教えてもらいました。