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未来へ繋げる農業物語

受け継がれる伝統。レールにのせて…

8代目:田口 博行さん(77歳)・9代目:秀明さん(50歳)・10代目:諒太さん(22歳)

芳野地区――昭和の農風景

「ガタンゴトン、ガタンゴトン…」作業道具をいっぱいに積んだカートが、夕暮れとともに自宅脇の作業場に戻ってきました。
 暖かな風が田んぼを吹き抜ける4月下旬の川越市鴨田。ここに先代から伝わる1台のカートとレールがあります。「当時はすべてが人力。作物や農機具を運ぶのもひと苦労だった」
 こう振り返るのは、江戸時代から続く農家、田口家の8代目、博行さん。田畑まで続くレールの長さは、およそ60メートル。今でも田口家の農作業の支えとなっています。
 博行さんは、御歳77歳。農業に携わり、60年以上の月日が流れました。「職といったら農業。やらなきゃ食べていけなかったから」

昭和初期の芳野地区。当時は牛や馬に農機具を装備し、田かきなどを行っ ていました。(記念誌「ふるさと芳野」編集委員会『ふるさと芳野 その歩 み』より)

昭和初期。当時の芳野地区は農機具が少なく、牛や馬が田畑を耕していました。また、となり近所が知恵を出し合い支え合いながら農作業に従事し、暮らしてきた時代でした。
 米農家の田口家。博行さんの代になり転機が訪れます。昭和40年代に入り、仲間からトマトの栽培を勧められたのです。減反政策の影響もあり「物は試し」とばかりに、トマトの苗を分けてもらうことに。そして、見事に大成功を収めます。土壌の良さも功を奏し、当時の芳野地区としては初のトマト農家となったのです。
 こうして田口家は水稲に加え、トマトの栽培を本格的にスタート。博行さんは、当時苗を分けてもらった仲間を今でも「師匠」と呼びます。

堆肥づくりも代々伝わるもの。3年かけて熟成させ、畑に加えて耕します。

秀明さんの母、光子さん(写真奥)も作業を手伝います。

将来の夢は

5時半すぎ。農家の朝は早い。3連棟のハウスが2棟立ち並ぶ広大な畑では、トマトの収穫に勤しむ姿が。就農して30年、9代目の秀明さんです。
「職業として意識し始めたのは、高校を卒業するあたりから。本気でやるなら兼業ではムリ」
卒業アルバムには「将来の夢は」と記されています。父、博行さんの背中を見て育った秀明さんにとっては自然の成り行きでした。

開店前の「あぐれっしゅ川越」。採れたてのトマトを丁寧に並べます。

ポリシーは「労力は惜しまないこと」。日々、ハウスや田んぼの状態を確認し、農機具のメンテナンスも欠かしません。倉庫もキレイに整理されています。その姿勢はまさに父親譲り。「気持ちはいつも1年生。同じものを育てていても毎年違うから。でも、成育具合を見るポイントや天候の読みなど、まだまだ父にはかなわない」と尊敬の念を忘れません。
 一方、父の博行さんは秀明さんをこう評します。
「腹が据わっており、黙々と作物と向き合っている。とても心強い」

就農3年目。次世代のホープ

そして、田口家にはもうひとりの農業者が活躍しています。次世代を担うホープ、10代目の諒太さんです。
トマトが旬を迎えるこの季節、直売所への搬入は諒太さんの役目。この日もJA直売所「あぐれっしゅ川越」に、明るく元気な声が響き渡ります。
 田口家は現在、トマトのほか水稲1.5ヘクタール分とコマツナやトウモロコシなど延べ1ヘクタール分を栽培。秀明さんによると息子、諒太さんが就農してから規模や販路も拡大しているとのこと。「目標は知識の祖父と、体力の父。2人が培ってきたものを受け継ぎ、新しいことにもチャレンジしていきたい」と諒太さんは意欲を見せます。

トマトの栽培管理はとても細やか。栽培技術も 確実に受け継がれています。

未来へ続くレールは果てしなく

川越市芳野地区は、JA管内でも有数の米どころ。田口家では水稲の育苗準備に励んでいました。すると秀明さんは、種籾を敷き詰めたトレイを1枚ずつ丁寧に運びながら呟きます。
「種から苗を育て収穫して、その先には笑顔の溢れる食卓がある。いつまでも続けていかないとね…」
すると、博行さんがまっすぐに前を見つめ、こう付け加えます。「親世代は、次世代に向け環境を作ってあげることが責務。環境が整えば、跡継ぎや就農者も増えるだろう」
 先代から受け継いだ農業のバトン。過去から現在、そして未来へ…。
作業場から田畑まで繫がれたレールの先は、果てしなく続きます。


新規就農し研鑽に励む日々

安田 武志さん(41歳)・石黒 未麻さん(39歳)

2人が新たな歴史を刻む場所

東武越生線の一本松駅から徒歩で約20分。住宅地を通り過ぎると、のどかな風景が広がり、安田武志さんと石黒未麻さんが耕作する約60アールの畑に到着します。遠くには奥武蔵の山々を望むことができます。
 2人は平成30年4月から「いるま地域明日の農業担い手育成塾(広報誌5ページ上参照)」の研修生として、鶴ヶ島市上新田地区で野菜栽培に取り組んでいます。
 4月中旬の朝7時過ぎ。2人仲良く畑に〝出勤〞。「1月に定植したナスをこれから収穫します」と言ってハウスに入ったのは石黒さん。「収穫したナスはJAの直売所に出荷します。売れてくれるといいな…」と、収穫期を迎えたナスを1つずつ確認しながら丁寧にハサミで収穫。2つ入りと3つ入りに見栄え良く袋詰めを行い、安田さんと一緒に車で5分ほどの距離にあるJA鶴ヶ島農産物直売所に向かいました。

農業大学校時代、畑でピーマンを育てる安田さん。

店内に入り、バーコードでナスに値付けを行う石黒さんに、先輩農家が「若い人が直売所に出荷してくれて嬉しい。頑張ってね!」と優しく声を掛けられ、はにかむような笑顔を見せました。
 商品の陳列を終え、畑に戻った2人はそれぞれの畑で農作業に入り、安田さんは定植したブロッコリーの生育を確認後、5月中の完成を目指しているビニールハウスの建設を始めました。
 「基礎はほぼ出来上がっている。風の吹かない日にビニールを掛け、完成させたい。天候次第ですね」と安田さんは話し、澄んだ青空を見上げました。完成後、トマトを栽培するとのことです。

クラスメイトと規格や品質を確認する農業大学校時代の石黒さん㊨。

研修生は生産から販売まで模擬経営を実践しています。

2人の出会いと農業への想い

安田さんは東京都世田谷区で生まれ、大学卒業後、牧場勤務やサラリーマンを経験。「農業をしながら田舎暮らしをする生活に憧れていた」と話します。一方、石黒さんは富士見市で生まれ育ち、短大を卒業後、食品関係の会社に勤務。「20歳代の頃から食に興味があり、いつか農産物を栽培してみたい」という想いを持っていたそうです。2人の出会いは平成12年のアメリカでの語学留学。帰国後、別々の道を歩んでいた2人は偶然に再会。「農業への考え方に多くの共通点があり、農家になろう」と意気投合。

先輩農家から「頑張って!」と声を掛けられ笑顔を見せる石黒さん㊧。

平成28年に半年間、車中泊をしながら沖縄以外の全国各地を訪れ、就農地を探したそうです。「農業大学校に入れば就農地を見つけやすいよ」と旅先でアドバイスを受け、消費地に近い埼玉で就農することを目指し、平成29年4月から1年間、熊谷市の県農業大学校に入学。畑での栽培実践や座学でも野菜栽培の「イロハ」を学びました。栽培に関すること以外にも「人と人の繋がりの大切さを学べた」と2人は声を揃えます。
 現在は鶴ヶ島市内の農家から土地を借り、朝から日が暮れるまで畑で過ごす日々。今の生活に安田さんは「自分が待ち望んだ生活が送れ、何も苦労を感じない。毎日好きなことができている」と充実感を漂わせ、石黒さんも「毎日食べる食事も畑から収穫して準備できるし、周りの方が気にかけてくれるのが嬉しい」と楽しそうに話します。

これからの夢

今はそれぞれに野菜を育て、販売していますが、支え合いながら農作業を行っています。安田さんは昨年、トマトを2トンほど収穫したことから、今年は中玉のトマト栽培を柱として定植する株数を増やす予定です。石黒さんはミニトマトやナス、サトイモなどの多品目栽培に取り組むそうです。収穫するお互いの農産物はJA直売所や、市内の量販店で販売予定。「夏には販売所を設置し、畑で直売も行うので、楽しみにしてください」と安田さんが話す側で石黒さんが嬉しそうに頷きました。

トマト栽培用のハウスを建設し、今夏からトマトの直売を始める予定。

近い将来2人は家族となり、トマトの施設栽培の他、直売所を併設した農家レストランやカフェの経営を目標にしています。「支え合いながら農家として、新たな歴史を築いていきたい」と、目を輝かせながら話す2人の上空から雲雀の囀りが気持ち良く響いてきました。

これから農家としての新しい歴史を積み重ねていく2人。