JAいるま野広報 2016年5月号 No.241
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地域だより19西部 天覧山の周辺には、多とおのすやま峯主山や飯能河原、吾妻峡など見どころが多く、春の桜、初夏の新緑、夏の川遊び、秋の紅葉、冬の雪景色、四季を通して豊かな自然があり、散策やハイキングに多くの人が訪れます。 高麗郡県郡一三〇〇 年祭 佳節を祝彩 天覧山の名称は、ふもとにある能仁寺の愛宕権現を祀って「愛宕山」と呼ばれていました。後に、徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院が十六羅漢の石仏を奉納したことから「羅漢山」となりました。 明治時代に、軍事演習が山麓で行われ明治天皇が視察をしたことから、現在の呼び名「天覧山」になりました。 ふもとから歩いて約20分で、標高195メートル天覧山の山頂です。展望台から飯能市街が一望でき、奥武蔵・奥多摩の山々が広がります。遠く富士山やスカイツリーを望むこともできます。天覧山 古くは、愛宕山・羅漢山と呼ぶ「飯能市飯能」 七一六年武蔵の国に「高麗郡」(現在の日高市・飯能市・鶴ヶ島市と川越市・入間市・狭山市の一部)が置かれました。 初代郡司は、高こうくり句麗からの渡来人の王族「高こまのこきしじゃっこう麗王若光」がなり、駿河、相模、下総など、七カ国から移り住んだ高句麗人一七九九名を率いて原野を開拓しました。 若光の没後、郡民が若光の徳を偲び、御霊を守護神として祀り創建したのが「高麗神社」の始まりです。現在、若光の子孫で六十代目高麗家当主が宮司を務めています。 昨年、本殿の増改築工事に伴い「ご神体」を仮殿に遷す「仮殿遷座祭」を行いました。 秋には、本殿が完成(拝殿・境内を拡張)、10月10日の夜、「ご神体」を本殿に遷す「本殿遷座祭」を厳かに行いました。 境内の隣接地には、山を背にした茅葺の入母屋造りで、慶長年間に建築されたと伝えられる高麗家が代々住んでいた「国指定重要文化財・高麗家住宅」があります。 二〇一六年は、高麗郡建郡一三〇〇年の佳節を迎え、「高麗郡百花繚乱」と題して、5月には、若光祭、高麗郡建郡神恩感謝祭、9月に芸能祭、10月に高麗神社例大祭、12月に年越しの大祓式など、年間を通じて様々な行事や催し物を予定しています。高麗神社 「日高市新堀」天覧山から望む富士山高麗神社高麗家住宅「いるま野」2016年5月号

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