JAいるま野 広報誌 2018.5 | No.265
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小江戸鏡山酒造㈱製造部長・杜氏 柿沼和洋さん平成19年に小江戸鏡山酒造入社。杜氏として3人の蔵人とともに日本一の地酒造りに挑戦する。目標はさけ武蔵を使って全国鑑評会で金賞を取ること。小江戸鏡山酒造㈱専務 五十嵐昭洋さん銘酒「鏡山」復活の立役者。「さけ武蔵を地元の酒米として農家の皆さんと共に育て上げていきたい」と語る。さけ武蔵プロジェクト。「田んぼから酒造りを」をコンセプトに蔵人自らが行う収穫作業さけ武蔵による地酒造り挑戦の動き平成12年 鏡山酒造 廃業平成16年 埼玉県が酒造好適米「さけ武蔵」を開発平成18年 JAいるま野で「さけ武蔵」生産開始平成19年 五十嵐営業部長(当時)らが中心となり小江戸鏡山酒造㈱      が誕生      柿沼製造部長が入社。新たな地酒づくりへの挑戦始まる。平成27年 「さけ武蔵プロジェクト」がスタート平成29年 JAいるま野さけ武蔵生産組合が設立平成30年 さけ武蔵を使用した「斗瓶取り雫酒」が県鑑評会で入賞12月、新酒造りが始まる。甑(こしき:米を蒸すための桶)を前に、今年のさけ武蔵について語る。(右から山田さん、杜氏の柿沼さん、JA職員)蔵元としての「さけ武蔵」との出会い柿沼部長・・・私は大学を出てそのまま酒造りの世界に入りました。小江戸鏡山酒造には2つの蔵元を経て平成19年に入社しましたが、営業部長(当時)の五十嵐たちが奔走し「鏡山」を復興した翌年になります。 新たな酒造りへの夢を追って入社したあの頃、酒造好適米のなかった埼玉県で蔵元として「さけ武蔵」は待望の酒米でした。 さけ武蔵は19年の酒造りから使用していますが、当時は必ずしも最高の酒米だとはまだ感じませんでした。ただ、この先農家さんと蔵元と指導機関の連携がうまく取っていければ改良が進み、酒造りの現場としてもさけ武蔵の酒造理論が積み重ねられ、さらに良いものが造れそうだとの可能性は感じました。モノづくりにおいて何でも最初から上手く行くことなどありませんから・・・。 また、最初は溶けやすいとの実感もありましたが、10年ほど経ち、今では「溶け過ぎず、味も出過ぎず」段々とまとまってきたと思います。肥料や刈取りの時期など山田さん達や県・JAさんの工夫があって、栽培の焦点が定まってきたのだと思います。 従来は現場の経験と勘に頼った作業が04「いるま野」2018.5

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