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紅葉の奥武蔵 
山上の農業を巡る

車窓からはうかがい知れない山上の畑。
小道を登り詰めたその先には、色とりどりの農業がありました。

 

飯能市・日高市西部から秩父郡の南東部にまたがる「奥武蔵」と呼ばれる地域。
戦前より西武鉄道池袋線の前身である武蔵野鉄道が、観光宣伝のため使い始めた呼び名で、「武蔵野の奥にある山地」という意味だそうです。
標高1,000m以下の山々が広がるこの一帯は、荒川支流の入間川や高麗川の上流部にあたり、東京からも近いため多くのハイキング客も訪れます。また、西川材としても有名で林業が盛んであったことは良く知られた話ですが、国道299号線から脇道に車を入れると、その山々の南斜面には、先祖伝来の農地が今も組合員さんの手で守られていました。
つづら折りに登り詰めた山上にしっかりと整備された畑が広がり、管理が行き届いたそれは、一目で大切にしている持ち主の心意気を伝えてくれます。

 


飯能市 長沢
加藤 京子さん(70歳)

 

標高500m近くとなる加藤さんの庭先からは、奥武蔵や 奥多摩の山並、遠くには富士山も望むことが出来る。

顔振峠に向かう途中の南斜面。小さいながらも綺麗に管理された畑を見つけました。持主はご先祖様からの畑を大切に継承する加藤さん。4年程前までお勤めをされていたそうで、ご両親に代わって今はジャガイモ・ネギ・ダイコン・コマツナなどを栽培しています。「この辺りは買い物も遠いから、食べる分くらいは自分たちで作らないと」と笑顔で話してくれました。
「昔、この辺りは旧東吾野村の村長さんの家もあって、収穫期には斜面いっぱいに植えられた麦を大勢の人たちが手伝いに上がって来たのよ。その内に人が山の上に集まるようになって小学校もできてね。うちでも斜面いっぱいに2反(600坪)くらい、色々なものを作っていたわ」と当時を懐かしそうに話します。
最近、電気柵を新調されたそうで、サルは出ないものの、イノシシ対策に設置した柵をシカが跨いで入ることが続いたので、今年からシカ対策用の電気柵にしたと言います。今では獣害に遭う事もなく、できた野菜は近所の人や親戚、子供たちに送って喜んでもらっているそうです。

 

傾斜地特有の作業「逆さ掘り」(さかさっぽり)。 土が落ちないよう下から上に鍬を入れる。 これも山における伝承の技。

お母様の教えが書き込まれている大学ノート。 何十ページにもわたって、農業に関することが びっしりと書き込まれていた。

もちろん小さい頃から祖父母や両親の働く姿を通じて農業には慣れ親しんできたという加藤さん。それでも自身で畑をしっかり管理できているのは、今年亡くなられたお母様からの伝授があってのことだと言います。「随分色々と母には教わりました。教えてもらったことは全てノートにメモしているので、それを見返しながら作業をしているの。いつもは草刈まで全部自分でやっているのよ」
夏の猛暑もあってさすがに今年は体調を崩したと言いますが、今ではすっかり元気になって、友達と車で出掛けることも多いそうです。「昨日も農協さんには年友旅行でお世話になって、日光まで行って来たの」と元気に話す加藤さん。「畑はご先祖様からのものだから、大切にしなくちゃね」と、農業を続ける理由を話してくれました。

 


飯能市 高山
田島 徳平さん(83歳)
  あき子さん(81歳)

 

西吾野駅を過ぎ林道を登り詰めると、高山不動尊の北西側に位置する田島さん宅に着きました。徳平さんのお祖父さんの代に正丸方面から現在の地に移り住んで来られたとのこと。徳平さんご自身は定年まで入間市内の自動車関連会社に勤務され、その後に農業を引き継がれたそうです。イモ類を始め、ホウレンソウ・小カブ・ダイコン・ネギ・ハクサイなどを栽培し、ジャガイモは国道299号沿いにある「休暇村奥武蔵」に出荷しています。
「今年出来たハクサイで具材を仕込み、妻と一緒に『おやき』を作ってみたいんだ」と話します。採れた野菜は奥さんと共同作業で楽しんでいるとのこと。

 

現在建築中のバーベキュー小屋。徳平さん曰く、 「昨年、子供たちが遊びに来たとき、雨に降られ ちゃってね」。

実はこの徳平さん、お話を伺うとどうやら相当に手先が器用な様子。「うちの人、何でも一人で造っちゃうのよ」とあき子さんは笑います。山上のテラスのような広い庭は、約30年前に傾斜地の畑を平らにして完成させ、屋敷周りの石積み、物置、車庫もすべて徳平さんが造ったそうです。今は遊びに来る子供たちのためにバーベキュー小屋を建築中。採れた野菜でピザを作りたいとピザ釜も計画しているとのこと。農作業とともに、ご夫婦でこの地の生活を楽しんでいます。
「子供の頃は畑仕事の手伝いはさせられたけど、自由にやらせてもらえなかった。今は何でも自由に楽しんでいるよ」と笑顔で話します。今年は梅の花が見たいと屋敷周りに70本の梅の木を植えたそうです。
もともと田島さん宅は奥武蔵のハイキングコースに接しており、ハイカーの方々が通年で庭先を通過していきます。そのため山の上の生活でも色々な人との出会いがあって楽しいと話します。
「山の上だから、星が見たいと庭にテントを張りに来る人や、離れに泊まりに来る団体さんもいる。夫婦二人の時間が多いから、ぜひ多くの人に遊びに来て欲しい」とご夫婦で話されました。

 

山の上の土地に徳平さんが造った庭が広がる。テラス席から見る眺望は最高で、その眼下に畑がある。(右写真)

庭から畑を見下ろす。さすが山の中。イノシシ被害が凄かったそうで、獣害避けの柵が頑丈に四方を囲っている。


飯能市 北川
金子 政三さん(82歳)真中
   和子さん(78歳) 右
原 光子さん(80歳) 左

 

西吾野の旧北川小学校を通り過ぎ、さらに奥に進むと岩井沢地区という集落に行き着きます。金子さん、原さんが管理する畑は車で行く道路からは見えません。金子さんの話では「車で畑までは無理だよ…」とのこと。断念してさらに奥に車を止め山道を歩いて向かうことにしました。
標高約500m。江戸時代に開墾されたらしい南向きの広々とした一帯は、傾斜地も合わせると1町歩(3,000坪)近くあるのではないかと思わせるほど。集落の道路からは想像もつかない別世界でした。
「今は5軒程だけど、昔はこの高台で10軒程が農業をやっていた。うちでも一番作っていた頃は3反(900坪)位やっていたなあ」と政三さん。金子さん夫婦と原さんが管理する畑は電気柵でしっかり管理されており、主にジャガイモ、ハクサイ、ネギ、その他にもサトイモ、エンドウマメやスイカなども作ります。
「採れたもので自分たちが食べる分は1割。あとの9割は親戚や知り合いにダンボールで送ってあげるんだ。この時期ジャガイモやハクサイなんかは重くてさ、12月は送料だけで2万円くらいになっちゃう。でもみんな喜んでくれるから楽しいよ」と政三さんは笑います。

 

採れたものは親戚や知人にほとんど送っているとのこと。高所で作るためハクサイも甘みが増して美味しいと評判だ。

畑の獣害対策は10年以上前から万全。以前は朝・昼・晩とサルにやられ、ジャガイモを2/3以上やられたこともあったと言う。

政三さんは70歳まで勤めをされていたので、それまでは奥さんの和子さん、原光子さん、10数年前に亡くなられた光子さんのご主人で耕作していたそうです。
「光子さんのご主人には農業のことを良く教えてもらったよ。『そろそろ間引くようだぞ』なんて調子でさ」と、懐かしそうに語る金子さん夫婦。
光子さんも若い頃は畑作業があまり好きではなかったと笑います。「でも、今では楽しんでやっているの。何年か前に体調を崩した時期があって、もう畑も止めようって思ったんだけど、金子さん夫婦に『健康のためにも一緒に続けよう』って励まされて…」
お互いに教えあい、励まし合ってこれからも仲良く続けて行きたいと三人は語ってくれました。